森の文明の原点・里山
日本の文化は木の文化、森の文化であった。この森の文化としての性格を、
日本文化がとり始めたのは、寒冷な氷河時代が終わり、温暖な後氷河に移り変わろうとする晩氷河と呼ばれる時代にまでさかのぼる。
今から約一万三千年前頃、北緯40度以南の現在の日本海側の多雪地帯を中心として、ブナやナラの落葉広葉樹林が拡大し始めた。その拡大の原因は、気温の上昇とともに海面が上昇し、日本海側に対馬暖流が一時的に流入したことによって、積雪量が増大したことにあった。
そして、このドングリのなる温帯の落葉広葉樹の森の中で、最古の土器づくりの文化が誕生した。縄文文化の母体とも言うべき最古の土器は、豆粒文土器・隆起線文土器とよばれ、これらの土器文化は、森の文化として出発した。
日本の森の文化の原点は、約一万参千年前頃の最古の土器文化にもとめられる。
縄文人と森のかかわりが明らかになった例として、福井県三方郡三方町鳥浜貝塚から発掘された木器の樹種を分析した結果、縄文人たちは一万年も前から、木の性質をたくみに見抜いて、適正に利用した事が明らかになった。石斧の柄にはユズリハ・ツバキ・サカキのような弾力性のある木が、弓には弾力性があり硬いカシの木が、盆などの容器にはトチノキやケヤキが、板材には割り易いスギが圧倒的に多く使用されていた。そして、こうした縄文人の木の利用の伝統は、最近の木地師にまで受け継がれていた。
日本人の木の利用の歴史は、一朝一夕に形成されたものではなく、一万年以上の長い歴史を有している。砂漠の民が水のありかを見つけることに優れているように、森の民としての日本人は、木の性質をたくみに見抜く特質をもっている。
縄文人の生活を支えた森には、ナラ・トチ・クリ・クルミなどの木の実の成る木があった。縄文人たちは、こうしたカロリーの高い木の実のなる木を、積極的に利用し、半栽培に近い段階にまで集約利用していたことが明らかとなった。