東西日本の環境論 縄文文化の西と東

    人間と環境・ 東西日本の環境論 岩波講座、西田正規著(抜粋)

    縄文文化の西と東

  縄文文化は日本列島を東西に分けてしばしば対立的な様相をみせる。縄文遺跡の密度が東日本に多く西日本に少なく、土器圏がしばしば中部地方を境界にして大きく対立し、また、土偶や岩版などの呪術的な遺物が東日本に多いことなどが指摘されている。更に、縄文時代から弥生時代への移行について、弥生文化が西日本に急速に拡大したとして、西日本の縄文文化には弥生文化を受け容れやすい情況が用意されていたと予想されてきた。

 そして、このような縄文文化の東西差の背景に、東西日本の自然環境の違いがあると指摘されることが多い。

 この問題の環境論的理解を与えたのは、照葉樹林文化論である。そもそも照葉樹林文化は、ヒマラヤ山麓から雲南、中国南部を経て西日本にまで分布する照葉樹林帯に、ウルシやシソ、茶、絹の利用、コウジを使った酒造り、アク抜き技法などの文化要素が分布していることを指摘するものであったが、その後、

この地域における固有の農耕文化の発展図式が提唱され、稲作以前の日本に「照葉樹林焼畑農耕」の存在を予想するに及んで縄文文化論に深く関わるものとなった。縄文時代の焼畑農耕の存在については、今の所、十分な説得的な証拠はない。しかし、照葉樹林文化論は日本の東西における環境の違いを際立たせ、或いは、縄文文化の東西差と植生との関係を強く印象付けるものとして大きな役割を果たした。

 西日本に照葉樹林文化が受容された背景として、西日本の照葉樹林は東日本の落葉樹林帯に比べて豊かな環境ではない、豊かな東日本に成立した「成熟せる採集民文化」は西日本では不十分にしか形成されず、そのために農耕文化への移行がより早く起こったという説。その根拠として、縄文遺跡が東日本に多く出土しているという。しかし、これらは皆東日本に遺跡が多いことを、東日本の環境が豊かであったと読み替えただけのことであり、遺跡密度と環境評価とが循環論をなしていることは明白である。

 これに関して、特に東海、中部、関東地方において、縄文中期に遺跡の数が最も多くなり、後期、晩期になると再び減少することについても環境論的解釈が提出されている。東京湾における後晩期の文化の衰えを、水域環境の変化による「漁猟活動のゆきづまり」といわれ、縄文中期の気温低下が関係づけられ理解されることが多く、それに加えて縄文人による自然環境や乱獲による資源減少の可能性が予想される。

    東西環境の再評価

  気温は、西日本がより暖かい。東日本の寒くて長い冬を過すには、寒気を防ぐ丈夫な住居、厚い着物、多くの燃料が必要であり、生活のコストはそれだけ多くかかるであろう。長い冬を越すには、より多くの越冬食料を保存しなければならないだろうが、それを準備する暖かい期間はより短いのである。

 タンポポの開花日は、西日本では3月20日頃が、東日本では4月10日以後と20日程度の遅れ、又、冬の到来を知らせるカエデの紅葉日について20日程度のずれがある。植物の成長期間、或いは冬の長さは、東西日本で40〜50日ほど違ってくる。縄文時代に食料とされていた野生動物植物の生産量にも大きく影響したに違いなく、生活を不安定にする要因として働くことがあったとしても、より豊かな環境を用意するとは思えない。

    森林の主要な構成種はいずれもブナ科植物である

 その種類数は温暖の照葉樹林に多い。照葉樹林にはシイ、アラカシ、シラカシ、ウラシロカシなど9種類の常緑ガシ類とクリ、コナラ、アベマキなど6種の落葉性ブナ科植物とがともに分布するのに対して、落葉樹林帯には5種類の落葉性ブナ科植物が生育するのみである。

 縄文時代にはこれらのブナ科の堅果が重要な澱粉源として利用されたが、少なくともその種類数は西日本により多く、食料資源の選択の幅はそれだけ多かったことになるだろう。

 これらの堅果の食品としての性質であるが、西日本に広く分布するシイには渋味がなくそのまま食料となるし、マテバシイ、シリブカガシの渋味も少ない。これら堅果利用の民俗事例の調査では、常緑ガシは水さらしだけによってアク抜きされるが、東日本に多い落葉コナラ類の堅果のアク抜きは、過熱加工や灰の利用が加わっており、それだけ渋味が強いのであろうと推測している。

 落葉広葉樹林のブナの堅果も渋味がなくそのまま食用になるのであるが、ブナ科の堅果としては最も小さく、また、数年に一度しか結実しないこともあって、食料としての利用価値は低いようであり、縄文遺跡からも殆ど出土しない。

 縄文時代には、これらブナ科の堅果の他に、クルミ、カヤ、ヒシ、トチ、の堅果が利用された。

 西日本の縄文文化を支えた照葉樹林は弥生時代以来の開発により早く消滅し、あるいは米を食べることのより早い普及の為に、我々はこの森がもたらしたであろう豊かな恵みの記憶をなくしてしまったのではなかろうか。だが、これらのことからすれば照葉樹林の森は少なくとも落葉広葉樹林と同じ程度か、或いはそれ以上の豊かさを持っているものと考えるべきであろう。

このページのトップへ