人間環境 縄文集落の環境 ムラの建設

人間と環境・縄文集落の環境  岩波講座、西田正規著(抜粋)

    ムラの建設

  縄文時代の人々は自然が生産する資源に大きく依存していたとしても、彼等は、積極的に自然に働きかけ、それを改変もしていた。住居は気候の変化に影響されない空間を用意したし、森を伐採することで集落を日当りが良く乾燥した場所とした。生活に必要な様々な施設や装置を集落とその周辺に用意するために、大きな労力を投下していたのである。

 ムラの建設は森の伐採から始めなくてはならない。もしもその場所に日本の森林に普通である直径1mもの大木でもあれば、その一本を切り倒し、枝を払い、運べる大きさに切断して移動させるだけで、数人が協力したとしても何日もかかる仕事であったであろう。そのような場所は避けられたであろうが、集落適地が何処にでもあるわけではない。そして、更に低木を刈り、場合によっては切り株や根の処理が必要であろうし、整地が必要なこともあるだろう。

 採集や漁労、狩の効率は、それを行なう場所についての経験と知識によって大幅に高まることからすれば、蓄積された知識こそ彼等の経済を支えた最も重要な道具という事になる。集落を取り巻く環境は、たとえそれが、自然として

の環境であったとしても、川や山、道、狩場、漁場には名称が与えられたであろうし、そして高い密度の知識や経験の網に絡め取られた環境であった。それはもはや、単なる自然環境というものではない。食料や資財の種類や量、それを得る季節や必要な労力までが把握され、村人の活動スケジュールに組み込まれた環境である。

    集落周辺の植生

  集落を中心にした村人の活動は周囲の植生に大きな影響を与える。集落の周辺では、建築材、丸太舟や道具、繊維材料、薪などの集中的な伐採によって、森は絶えず破壊され、そこに明るく乾燥した裸地が広がり、このような場所を好む陽性植物が繁殖する。日本の二次植生を構成する主な植物は、我々になじみ深いものばかり、山菜や澱粉源、繊維材料、樹脂、薬用、子供の遊びに使われる植物の多くはこういうような植物である。

 クリの多い林が縄文集落の周辺にいつでも存在していることについて、縄文時代の人々がクリの多い場所を選んで集落を作ることもあっただろうが、大抵、クリが高い密度で成育することは殆どない。また、照葉樹林帯でも落葉広葉樹林帯においても、村人が集落の周辺で樹木を伐採し続ける限り、そこにクリやコナラ、ヤマザクラ、ヤマウルシ、ワラビ、フキ、ウド、キイチゴ類、イラクサなどの多い二次植生を出現させる生態学的メカニズムが自動的に働く。従って、縄文集落におけるクリ林の存在は彼等の集落立地の選択基準のいかんにかかわらず、定住生活による持続的な森林破壊の結果であると理解しなければならないのである。

 ムラ人は毎日のように家やムラの周辺にあるこれらの陽性植物の成長を見ながら生活することになり、それらの植物についての知識は一層深まるだろう。しかも村人は集落周辺の植物の成長には大きな影響力を発揮できる。使い道の無い植物は伐採され燃料にされ、踏みつけられることが多いだろうが、利用価値の高い植物に対しては何ほどかの配慮が払われるだろう。食料や建築材として用いられたクリの木は当然その対象になったであろうし、クリや又その他の有用植物の密度は人の影響下に無い自然の二次植生におけるよりもされに高くなるだろう。

 村人はどのクリの木が実を多くつけるか、密生したり、ツタ植物が絡んだりして十分な光を受けられないクリの木が僅かしか実をつけず、まばらに生えて光を一杯に受け、枝を広く張ったクリの木が多くの実をつけること、クリの木の下草を除草すれば落ちた実の採集効率が高くなるだけでなく、生産量も増加することは、すぐさま理解されたに違いない。

 ムラには人間という大きな動物が長期にわたって集団で住み続け、しかも彼

等は食料の殆どをここに運び込む。そのために、集落周辺には排泄物や食料廃棄物が集積してそこに窒素を多く含んだ土壌が形成される。集団周辺に集中してきた陽性植物は次第に肥沃な高窒素土壌に適応して大型化するだろう。

 クリやヤマイモ、キイチゴなど集落周辺の二次植生に生える植物は、人間だけでなくイノシシやサルなども好んで食べる。村人はここで、動物との競合関係においておのずと有利な立場にたっていることになる。また、もし獣が近づくことがあるなら狩猟の好機を増加させる。

 集落周辺の二次植生は彼等が伐採し、毎日眺め、採集し、選択し、植付け、保護し、そして他の動物の侵害を拒否する場所である。やがて明るく開けたこのようなムラの二次植生を、彼等の生活の様々な場面に取り込み、そして彼等の生活に無くてはならない重要な領域として認識したであろう。そのようなムラで育った人々が別の場所にムラを建設する時には、新しいムラの周囲の植生は、以前のムラの植生をモデルにしてより積極的に変えるだろうし、さらに有用な植物が新しいムラに運ばれるであろう。

 ムラの周囲の二次植生は村人の活動によって出現したものであり、それが彼等の経済において何ほどかの重要性を持っていたことは明らかである。自然としての環境において資源を得ることを採集というなら、ムラの二次植生における人間と植物の関係はすでに採集のカテゴリーには収まらない。栽培は人が有用植物の成長を次第により強くコントロールして行く過程である。

 縄文時代の集落においてその過程はすでに動き出していたと考えねばならない。     

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