チカモリ遺跡
所在地 新保本五丁目 立地 手取川扇状地
時代 縄文時代後期後葉と晩期前葉 種別 集落跡
資料 金沢市教育委員会
概要 遺跡の位置は、金沢市街の西南方、北陸自動車道西ICの南東方1`、同東IC南西方8.3`、金沢駅の南西方4.6`、金沢城石川門の西方5.2`。県内最大の河川手取川扇状地の北端にあって、其の支流の十人川の沿岸東方約250mの中川排水路縁に営まれていた。遺構面標高は約6.8m、田面標高7m前後を測る。かつては地下水の季節的自噴水地帯であり、縄文時代においても、飲料水・煮炊き用の水、堅果類のアクヌキ用のさらし水、食物保存のための冷水の確保されやすい場所であったと考えられる。乾燥することない周辺の大地には、雑木林が生い茂り、果実、地下茎、小動物が豊富であったと考えられる。陽射しが多く、開拓し易い河岸の近くの雑木林を拓いて常に陽射しの入る空間をさらに広げ、そこでは栽培によって植物質食料(根茎類・豆類・雑穀類)を収穫していたとも考えられる。
遺構 チカモリ遺跡は木柱を用いた遺構が多数検出されている。これらは集落を構成する住居跡と考えられる。
略半載材を用いた真円配置の木柱の特徴は次のようである。
@ 木柱列は略半載材が用いられる。円弧面は何れも中心を向く(向心性)
A 木柱列は真円配置の円環部分とハ字形に開く部分からなる。木柱列は真円であると共に、線対象形に配置されている。出入り口部のある円形の建物と考えられる。
B 木柱列は巨大である。但し、建物それ自体は大きくない。巨大でない木柱もある。
C 巨大な木柱を用いたものは同じ場所に何度も立替られている。
D 木柱列に用いられた略半載材は何れもクリ材で、何れも樹皮を取り除いて使用している。手斧様の工具による調整痕がある。
E 目途穴があるもの、横溝があるもの、縦溝があるものなどがある。一点のみであるが、山形の彫刻のあるものもある。
次いで、丸材を用いた正方形・長方形配置の木柱の特徴を列記すれば
@ 木柱列に巨大な丸材が用いられている。但し、建物それ自体は大きくはない。むしろ小さい。チカモリのものは一辺が2.5mの正方形のもの、3.6×4.8mの長方形のものである。
A 木柱列は、正方形、長方形部分のみからなる。
B 長方形に配置されたものは、直角を造角するため、3:4:5の直角三角形
が用いられている。
C 木柱に用いられた丸材は何れもクリ材で、樹皮を取り除いて使用している
D 横溝、縦溝がある。目途穴がない。彫刻のあるものはない。
巨大性について、
チカモリ遺跡で、巨大な木柱が用いられていた木柱列は建物と考えられる。集落の「かなめ」にあたる部分の真円配置の建物(略半載材)と4本柱の建物(丸材)、6本柱の建物(丸材)である。即ち、その他の一般的な建物の木柱に比べると巨大な木柱が使用されているのであり、雪国のため雪の重みに対して全てが巨大なものではない。細いものでは20cm程のものが多数ある。丸材は太いものが多い。
ある特定の建物に「巨大」な木柱を用いねばならなかった必然性は、まず、当時の社会・経済のあり方から、集団全体で共有する特定の建物が必要であったと考えられる。そして、儀礼的・祭祀的な行為と関係して、その形式性や荘厳性の追及から、非日常的な巨大性が要求されたものであり、建物の構造上必要な巨大性ではと考えられる。
現代社会では、長野県では、諏訪神社の遷宮祭として巨大な柱を立てる御柱祭りが残っている。この祭りでは、山出し、川流し、里曳き、立て柱のみで建物としないが、伊勢神宮の遷宮祭では建物として完成する。即ち、長野県の御柱祭は、立柱のみして建物を立てる無駄を省いた祭りといえよう。又、同じ場所に何度も立て替える行為も、神社の式年遷宮祭(年限を定めて神移しをすること。例えば伊勢神宮では20年ごとで、建物が傷んだか傷まないかは関係が無い)として各地の神社で恒例化されて今に残っている。そして、これらの各地の式年遷宮祭は縄文時代から連綿として伝わっていた可能性がある。但し、縄文時代晩期にもこの建物が今の神社と同じであったかどうかは不明である。尚、木柱は巨大であるが建物それ自身はとても巨大とは言えない。木柱が巨大な為柱間は非常に狭くなっている。
略半載材と向心性について
略半載材を用いたことの理由は幾つか推理される。まず、運搬の容易性である。略半載にすることによって丁度舟のようになり、傾いても復元して略半載面が水平を保つため非常に運搬しやすい。この水平への復元性は水の中でも陸上でも変わらない。このため、下にコロをしいてもそのコロからなかなか脱線しなくなる。当然、労働力の軽減・省力化につながる。但し、クリ材の生木は比重1を越えるので水中に沈む。
木柱を立てるとき1本の木から取った2本の略半載材を左右に配置し、対象にして用い線対象であることを強調して様式美を追求することができる。略半載材は円弧面が円環の中心を向くように立てられているので円環の内側からは丸材に見える。
調整痕について
略半載材及び丸材にはいずれも手斧様の調整痕が観察される。調整痕は、遺存していた高さの8割り方まで観察されるが、これより上には観察されない。即ち樹皮を剥ぎ取ったままとなっている。何故、下方の地中部分にのみ調整が施されたのか不明である。
クリ材について
多くの木柱がクリ材であった理由について。@ クリ材には割裂性がありクサビを打ち込んで容易に割れることができるため、略半載材を造り易い。近年までコケラ材として利用されていた。A タンニンを多く含むため、耐湿性があり、チカモリのような多湿な場所でも腐らなかった。B 成長が早く大木となる。チカモリ出土のものは、2mに6〜7本の年輪(半径)があったので、直径で1年に約3.3〜2.9mm成長していた。直径80cmの木柱ならば、12〜138年生と計算される。C クリは、ブナクラス域、ヤブツバキクラス域の二次林の構成者として広く分布し、河川の営力によって自然的な二次林が形成され易い河川沿いに多かったものと考えられる。
目途穴
目途穴と考えられる穴が穿孔されたものがある。目途穴とは、木材を山出ししたり、筏流しをしたり、貯木場に係留するために、藤の綱を付け回すために材端近くにあけられた孔を言う。チカモリでは目途孔2孔と横溝表裏とに藤綱が5〜6回巻きつけられたものがあった。又縦溝は、運搬の際に、曳き綱が地面との摩擦によって擦り切れないように施されたのではないだろうか。即ち、条溝と目途穴は、山出し、川流し、里曳き、立柱のいずれの場合にも必要であったものであろうと考えられる。
円環部とハ字部について
チカモリのA環は円環部分が略半載材10本で真円に配置され、外界隔てられ、構造物の主たる部分を構成している。そして、ハ字形の板状材が取り付けられて外界との出入り口とし、建物であることを暗示している。A環の周辺の多数の円環は竪穴住居跡とは異なった居住用の建物と考えられ、集落をなしているものと考えられる。壁面は板材を縦にして用い、円筒形の建物になる可能性を考えておく必要がある。円環部に残されていたのは建物の垂直材であるが、横材、斜め材はどのようなものが使用されていたのかは分かっていない。
ハ字部の板状材は半載材をくりぬいて樋状にし、縦に2本の条溝を入れて、力を加えて横に開き、大きく見せかけたものである。このことは円弧が3つあるように見える年輪の図で確認される。
真円配置、線対象、直角について
木柱列は真円に配置されている。一端を固定した紐によって実現したものと考えられる。真円配置のものは線対称形になっている。又丸柱のものは長方形になっており、角が直角になっている。長方形の建物の辺の長さは3:4となっており、斜辺は5の比率となっている。即ち、3:4:5の直角三角形を利用して直角を造角したものである。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|