桜町・土器と石器・装身具と土偶

 土器と石器・装身具と土偶

今回出土した建築部材を転用した様々な木組みは、洪水によって上流から流失した細かな砂によって埋め尽くされていた。この木組みは北陸の縄文時代中期末葉の標識土器である。串田新U式土器の包含層の上に築かれていた。木組みは埋没後復旧されずに放棄され、その上は土器や石器などのゴミ捨て場となった。このゴミ捨て場に最初に捨てられた土器も又串田新U式土器であった。木組みの構築と埋没は、この串田U式土器の時期に起きた出来事なのである。串田新U式土器は貝塚の縁を土器表面に押し付けた「貝殻擬縄文」を特徴の一つとするが、その後段階では当時北陸西部域の中期末葉の土器に多用された「葉脈状文」を取り入れている。これは比較的狭い範囲に分布が限られていた串田新式土器が、この時期に隣接地域と接触・交流したことを示すものであるとともに、この土器群が縄文中期でも終わりの段階のもの(約4000年前)であることを示している。

 ゴミ捨て場の最後の段階の層からは、北陸の縄文時代後期初頭の土器である前田式土器と、当時瀬戸内海地方で使われていた中津式土器が出土している。中津式土器は縄文時代の広域交流を示すものである。

(小矢部教育委員会)

 

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