桜町遺跡・各年代別の出土状況(小矢部市役所HPより)


1997
年の出土品1

石斧の柄石斧の柄

なわ
なわ
 

9月16日出土した
9月16日出土した
小型のかご

様々な部材
様々な部材
 

かご
かご
 

クルミを割っていた?
クルミを割っていた?
タタキイシがそのまま

タモの輪
タモの輪
(
イヌガヤ)

水辺の作業場
水辺の作業場
(
トチノミがたくさん)

木の葉
木の葉
 

ザルを土ごと
ザルを土ごと
切り取って保存処理

トチノミを洗っていたのか?
トチノミを洗っていたのか?
ザル(ウリハダカエデ)

コゴミ
コゴミ
(クサソテツ)

イノシシの
イノシシの
下顎の骨

クリ
クリ
 


1997
年の出土品2


数々の出土品を写真でご覧下さい。

トチノキの林
トチノキの林
 

トチノミの水さらし場
トチノミの水さらし場

謎のY字材
謎のY字材
 

赤と黄に色づいた木の葉
赤と黄に色づいた木の葉

縄文時代のまな板?出土
縄文時代のまな板?出土

自家製品の木製片口鉢
自家製品の木製片口鉢
(未製品)出土

結んである縄
結んである縄

縄文時代の赤塗り腕縄文時代の赤塗り腕

ミニY字材がさらに出土
ミニY字材がさらに出土

1998年の出土品

数々の出土品を写真でご覧下さい。

縄文時代晩期の「石刀」が出土 1998.11.13

 桜町遺跡第2調査区で縄文時代晩期の「石刀(セキトウ)」が1点出土しました。石刀は縄文時代後・晩期にみられる磨製石器。断面は三角形で、一側辺が刃部となっています。刃部が鋭利ではないため実用の利器とは考えられず、ある種の儀礼行為に用いられたものと考えられます。出土したのは古代以降の小河川の中から。この川が縄文晩期の遺物包含層を切っていたため、中に紛れ込んだものと見られます。桜町遺跡からは過去の調査で、すでに2点出土しており(持ち手部分と刃部)、これで3点目となります。今回出土のものは刃部で、長さ17.5cm、幅0.93.5cm、厚さ(背の幅)1.8cm

縄文時代晩期の「石刀」

 

「無頭石棒」の完形品などが出土 1998.8.24

 第1調査区西側の縄文中期末(4000BP)の川底から、先端部に彫刻が施されていない「無頭石棒」が出土しました。先に見つかった彫刻石棒の出土地点から南に約8mのところ。破損のない完形品で、長さ65cm、直径22cm、重量44kg。先端部がやや尖っており、底面は窪められています。胴部は各面が磨かれ、形が整えられています。
 第1調査区西端のこの一帯からは、この2点の石棒のほか、鬼や人形(ヒトガタ)と見られる彫刻柱など、縄文人の精神世界を現したと見られる遺物が出土しており、木の実加工の作業場とは別の、非日常的な特殊な意味合いをもった場であったと見られます。
 このほか、同じ中期末の土層から高床建物の草壁の「葺材」と見られる葦(ヨシ)の束が、200cm×60cmの範囲で見つかりました。同様の葺材は昨年の調査でも2例見つかっており今回は3例目となりますが、今回出土のものは最も大きなものです。
 石棒に詳しい桜町遺跡発掘調査専門部会 小島俊彰部会長の話、2種類の石棒は、執り行われる祭祀の形態や内容によって、使い分けられていたと見ることができる。石棒祭祀の実態を考える上で興味深い。

「無頭石棒」 草壁の「葺材」と見られる葦(ヨシ)の束

 

桜町遺跡最古の土器出土 1998.8.24

 桜町遺跡第1調査区下層(地表下約4m)で、加工木などを利用した木組みが検出され、その周辺から土器の小破片数点が発掘されました。このうちの3点は楕円押型文(回転押型文)が施されており、縄文早期(8000BP)のものです。発掘調査再開以来、桜町遺跡で発見された最古の土器です。
 1.口縁部片 3.8×3.1cm 厚さ0.60.8cm(楕円文0.8×0.4cm)
 2.体部片  3.5×2.6cm 厚さ0.70.9cm(楕円文0.7×0.4cm)

桜町遺跡最古の土器

縄文のビーナス」出土 1998.8.13

 第3調査区の試掘調査で、縄文後期末〜晩期前 葉(2,8002,600BP)の遺物包含層が確認され、ここから「線刻礫」が発見されました。
長軸5.7cm、短軸3.4cm、厚さ1.0cmの卵形で、表面上方には前髪を表現したと見られる線刻があり、下方には直径約1m、深さ0.3m程の円い穴が一ヶ所あります。裏面には、後ろにたなびく頭髪が縦の長い線刻で表現されており、女性の全身を表したものと考えられます。
 円礫に線刻で女性像を表現したものは、愛媛県美川村上黒岩岩陰(カミクロイワイワカゲ)遺跡(縄文草創期〜早期)と高知県西土佐村大宮・宮崎(オオミヤ・ミヤザキ)遺跡(縄文後期)に出土例があり、今回の発見は3遺跡目となります。縄文時代を通し極めて希な遺物と言えます。

「縄文のビーナス(後)」 「縄文のビーナス」 「縄文のビーナス」(実物大イラスト)

 

最古の「水さらし場」遺構出土 1998.7.24

  第1調査区の西側で小河川が見つかり、中からあらたに木組みの「水さらし場」が出土しました。桜町遺跡では昨年の調査ですでに水さらし場が見つかっていますが、今回発見のものは同じ縄文中期末(4000BP)でも、相対的に古いものです。周辺からトチなどの木の実が大量に出土しているため、昨年出土のものと同様、ナッツ類の加工のための施設と見られます。トチの水さらし場としては我が国最古のものです。水さらし場は流れる水をコントロールできるよう、巧みに作られています。水を自然の流れにまかせず人為的に固定し、必要とする水量、流れる速度などを自在に操るための仕掛けが随所に見られます。縄文人の優れた知恵をここにも見ることができます。

「水さらし場」遺構出土

 

縄文の「鬼」? 彫刻柱が出土。1998.6.28情報

 長さ2m強、幅13cm41cmで一部欠損しています。上部には犬など動物の耳にも似た「角」のような削りだしがあり、その下方には「目」を表現したと見られる彫り込みが7カ所あります。全体としてあたかも「鬼」を表現したようにも見えます。実用的なものではなく、呪術的な用途に使用されたものと見られます。縄文時代の彫刻柱は石川県能都町の真脇遺跡などで出土していますが、これらとは全く異なった彫刻が施されており特異なものと言えます。

縄文の鬼

「平織」状のござ?が出土1998.6.28情報

 縄文中期末(4000BP)の川底から「平織(ヒラオリ)」状のござ(?)の断片のようなものが出土しました。これまでの調査で、「もじり編」「網代編」などの技法を使ったカゴやザルが出土していましたが、今回出土したのは平坦な製品であることから、ござなどの敷物である可能性が高いと見られます。縄文人は用途に応じ様々な「編みの技法」を駆使し多様な製品を生みだしていた様子が分かります。 出土した断片は17×12cm

平織状のござ

 

「石棒」が出土

 第1調査区の中期末の層(4000BP)から、石棒の一部が出土しました。石棒は男性器を表した石製品で、縄文時代前期に出現し中期には東日本を中心に広がり、晩期まで作り続けられました。生殖器崇拝とでも言うような祭祀の道具と考えられています。今回出土したのは、彫刻石棒と呼ばれる北陸地方独特のものです。出土したのは先端部付近で、男性器の特徴とともに女性器を表現したと見られる彫刻(三叉文)が施されています。 長さ14cm(上下とも破損) 直径12cm(最大径)

石棒

1999年の出土品

縄文の「鬼(?)」がもうひとつ 1999.5.19

 「鬼」のような形をした彫刻柱が、もう1本見つかりました。これは、昨年出土した木製品の整理作業で確認されたものです。見つかったのは頭の部分で、角のような彫刻と、目のような彫り込みが見られます。出土地点は第1調査区の西側。先に見つかった彫刻柱出土位置の南約1mの地点です。「水場」の木組みに転用されていました。長さ92cm、幅9cm38cm.

 

 

3本目の彫刻柱を確認1999.6.4

 鬼のような形をした2本目の彫刻柱に続いて、さらにもう1本彫刻柱が見つかりました。2本目と同じく、昨年出土した木製品の整理作業で確認されたものです。長さ約180cm、太さ約30cmで両端ともに破損しています。中央部分に隆帯があり、その上部に「目」のような彫刻が、少なくとも6カ所彫り込まれています。出土したのは第1調査区西側の、鬼の彫刻柱が出土した地点とほぼ同じところです。第1調査区のこの一角では、このほかに石棒や飾り弓なども出土しており、祭祀色を強く感じさせる場所と言えます。

 

 

木製の「土掘り具」を確認 1999.6.28

 平成9年に出土した大量の木製品の中から、「土掘り具」の一部と見られる木製品を確認しました。出土したのは、大形高床建物の柱材の出土地点付近で、長さ42cm、幅13cm、厚さ1〜3cm。「鋤」のような形状をしています。中央部に稜があり、先端部は使用による激しい摩滅痕が残っています。柄は残されておらず、本体も縦半分に割れています。高床建物の柱穴や竪穴住居を掘削する際などに使用された、土木作業用の道具と見られます。桜町遺跡では、土掘り具としてこのほかに「掘り棒」なども出土しています。

2000年の出土品

 環状木柱列の全容確認 12.14

 

 第3調査区の縄文時代晩期(2700年前)の地層からその一部が出土した、「環状木柱列(ウッドサークル)」の全容が明らかとなりました。柱は総数10本で、そのうち8本の柱根を確認しました。直径約6mのほぼ真円上に柱間約2mで整然と配置されています。入り口と見られる門柱2本も確認されました。柱直径は3060cm。柱穴の切り合い関係からもう一環以上あると思われますが、発掘調査は来年度となります。また、木柱列近くから桜町遺跡では初めて人骨が3点出土しました。そのほか周辺から、赤漆塗りの櫛・翡翠製の玉類・土偶などがすでに出土していることなどから、木柱列を取り巻く周辺が祭祀あるいは葬送にかかわる施設である蓋然性が高まったと見ることもできます。

環状木柱列2

環状木柱列3

2点目の「赤漆塗りの櫛」が出土 10.6

 第3調査区から本年度2点目となる、縄文時代晩期(2700年前)の「赤漆塗りの櫛」頭部が出土しました。歯は失われていますが、頭部に残された痕跡から20本程度あったものと見られます。先に出土したものと同じ「結歯式」で、幅9.5cm、高さ約6cmと前回のものよりも大きく、「透彫り」が5箇所に施されています。出土地点は、地表下約1.5m

赤漆塗りの櫛

 

縄文晩期「赤漆塗りの櫛」などが出土 9.7

 

桜町遺跡第3調査区から縄文時代晩期(25002700BP)の「赤漆塗りの櫛」などの装身具類が出土しました。櫛のほか、翡翠製の勾玉や丸玉などの垂飾品もあります。

 

縄文晩期「赤漆塗りの櫛」2

縄文晩期「木組の水場」が出土 8.18

 

 第3調査区で、縄文晩期(2,500年前)の木組み遺構が出土した。水場は調査区西側を南西から北東に流れる小河川の左岸岸辺に設置されており、長さ約150cm、幅約80cm、深さ約15cm。中からはミズナラ・コナラを主体に、クヌギ・アベマキなどのドングリが出土しており、ドングリ類の「水さらし施設」と考えられる。木組みの上は木材で蓋がされており、その上に縄文時代晩期(2500年前)の粗製深鉢土器が1点置かれていた。遺構の遺存状況は極めて良好である。同じような例は、埼玉県川口市赤山陣屋遺跡(縄文晩期)、長野県中野市栗林遺跡(縄文後期)などにあり、総数は全国で10遺跡程度である。桜町遺跡では1997年の発掘調査で縄文中期末(4000年前:我が国最古)の同様な遺構が発見されているが、同じ遺跡で異なる時期の水さらし施設が発見されたのは全国で初めてである。縄文時代における木の実の加工技術の変遷を知る上で極めて重要な発見である。

縄文晩期「木組の水場」2

ウッドサークルの一部が出土 2000.01.11

 第3調査区で、ウッドサークルの一部と見られる柱根が1本出土しました。柱の長辺約50cm、厚さ約23cm、高さ現況で約40cm。柱を埋めた穴の大きさは、直径約80cm、深さ約80cm。ウッドサークルは半割した巨木を円形に立て並べた施設で、縄文晩期の北陸地方に特徴的に見られるものです。祭祀に関係する施設と考えられていますが、単なる柱列か屋根をかけた建物か議論が分かれます。同様の遺構で柱根が残っていた例は、石川県金沢市のチカモリ遺跡と石川県能都町の真脇遺跡の2例があり、いずれも直径6m程の円形配列が確認されています。

ウッドサークルの一部


1998
年の出土品