桜町遺跡・各年代別の出土状況(小矢部市役所HPより)
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1998年の出土品 |
数々の出土品を写真でご覧下さい。 |
縄文時代晩期の「石刀」が出土 1998.11.13 |
桜町遺跡第2調査区で縄文時代晩期の「石刀(セキトウ)」が1点出土しました。石刀は縄文時代後・晩期にみられる磨製石器。断面は三角形で、一側辺が刃部となっています。刃部が鋭利ではないため実用の利器とは考えられず、ある種の儀礼行為に用いられたものと考えられます。出土したのは古代以降の小河川の中から。この川が縄文晩期の遺物包含層を切っていたため、中に紛れ込んだものと見られます。桜町遺跡からは過去の調査で、すでに2点出土しており(持ち手部分と刃部)、これで3点目となります。今回出土のものは刃部で、長さ17.5cm、幅0.9〜3.5cm、厚さ(背の幅)1.8cm。 |
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「無頭石棒」の完形品などが出土 1998.8.24 |
第1調査区西側の縄文中期末(4000BP)の川底から、先端部に彫刻が施されていない「無頭石棒」が出土しました。先に見つかった彫刻石棒の出土地点から南に約8mのところ。破損のない完形品で、長さ65cm、直径22cm、重量44kg。先端部がやや尖っており、底面は窪められています。胴部は各面が磨かれ、形が整えられています。 |
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桜町遺跡最古の土器出土 1998.8.24 |
桜町遺跡第1調査区下層(地表下約4m)で、加工木などを利用した木組みが検出され、その周辺から土器の小破片数点が発掘されました。このうちの3点は楕円押型文(回転押型文)が施されており、縄文早期(8000BP)のものです。発掘調査再開以来、桜町遺跡で発見された最古の土器です。 |
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縄文のビーナス」出土 1998.8.13 |
第3調査区の試掘調査で、縄文後期末〜晩期前 葉(2,800〜2,600BP)の遺物包含層が確認され、ここから「線刻礫」が発見されました。 |
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最古の「水さらし場」遺構出土 1998.7.24 |
第1調査区の西側で小河川が見つかり、中からあらたに木組みの「水さらし場」が出土しました。桜町遺跡では昨年の調査ですでに水さらし場が見つかっていますが、今回発見のものは同じ縄文中期末(4000BP)でも、相対的に古いものです。周辺からトチなどの木の実が大量に出土しているため、昨年出土のものと同様、ナッツ類の加工のための施設と見られます。トチの水さらし場としては我が国最古のものです。水さらし場は流れる水をコントロールできるよう、巧みに作られています。水を自然の流れにまかせず人為的に固定し、必要とする水量、流れる速度などを自在に操るための仕掛けが随所に見られます。縄文人の優れた知恵をここにも見ることができます。 |
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長さ2m強、幅13cm〜41cmで一部欠損しています。上部には犬など動物の耳にも似た「角」のような削りだしがあり、その下方には「目」を表現したと見られる彫り込みが7カ所あります。全体としてあたかも「鬼」を表現したようにも見えます。実用的なものではなく、呪術的な用途に使用されたものと見られます。縄文時代の彫刻柱は石川県能都町の真脇遺跡などで出土していますが、これらとは全く異なった彫刻が施されており特異なものと言えます。 |
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「平織」状のござ?が出土1998.6.28情報 |
縄文中期末(4000BP)の川底から「平織(ヒラオリ)」状のござ(?)の断片のようなものが出土しました。これまでの調査で、「もじり編」「網代編」などの技法を使ったカゴやザルが出土していましたが、今回出土したのは平坦な製品であることから、ござなどの敷物である可能性が高いと見られます。縄文人は用途に応じ様々な「編みの技法」を駆使し多様な製品を生みだしていた様子が分かります。 出土した断片は17×12cm。 |
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「石棒」が出土 |
第1調査区の中期末の層(4000BP)から、石棒の一部が出土しました。石棒は男性器を表した石製品で、縄文時代前期に出現し中期には東日本を中心に広がり、晩期まで作り続けられました。生殖器崇拝とでも言うような祭祀の道具と考えられています。今回出土したのは、彫刻石棒と呼ばれる北陸地方独特のものです。出土したのは先端部付近で、男性器の特徴とともに女性器を表現したと見られる彫刻(三叉文)が施されています。 長さ14cm(上下とも破損) 直径12cm(最大径)。 |
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1999年の出土品 |
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第3調査区の縄文時代晩期(約2700年前)の地層からその一部が出土した、「環状木柱列(ウッドサークル)」の全容が明らかとなりました。柱は総数10本で、そのうち8本の柱根を確認しました。直径約6mのほぼ真円上に柱間約2mで整然と配置されています。入り口と見られる門柱2本も確認されました。柱直径は30〜60cm。柱穴の切り合い関係からもう一環以上あると思われますが、発掘調査は来年度となります。また、木柱列近くから桜町遺跡では初めて人骨が3点出土しました。そのほか周辺から、赤漆塗りの櫛・翡翠製の玉類・土偶などがすでに出土していることなどから、木柱列を取り巻く周辺が祭祀あるいは葬送にかかわる施設である蓋然性が高まったと見ることもできます。 |
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2点目の「赤漆塗りの櫛」が出土 10.6 |
第3調査区から本年度2点目となる、縄文時代晩期(約2700年前)の「赤漆塗りの櫛」頭部が出土しました。歯は失われていますが、頭部に残された痕跡から20本程度あったものと見られます。先に出土したものと同じ「結歯式」で、幅9.5cm、高さ約6cmと前回のものよりも大きく、「透彫り」が5箇所に施されています。出土地点は、地表下約1.5m。 |
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縄文晩期「赤漆塗りの櫛」などが出土 9.7 |
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桜町遺跡第3調査区から縄文時代晩期(2500〜2700BP)の「赤漆塗りの櫛」などの装身具類が出土しました。櫛のほか、翡翠製の勾玉や丸玉などの垂飾品もあります。 |
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縄文晩期「木組の水場」が出土 8.18 |
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第3調査区で、縄文晩期(約2,500年前)の木組み遺構が出土した。水場は調査区西側を南西から北東に流れる小河川の左岸岸辺に設置されており、長さ約150cm、幅約80cm、深さ約15cm。中からはミズナラ・コナラを主体に、クヌギ・アベマキなどのドングリが出土しており、ドングリ類の「水さらし施設」と考えられる。木組みの上は木材で蓋がされており、その上に縄文時代晩期(約2500年前)の粗製深鉢土器が1点置かれていた。遺構の遺存状況は極めて良好である。同じような例は、埼玉県川口市赤山陣屋遺跡(縄文晩期)、長野県中野市栗林遺跡(縄文後期)などにあり、総数は全国で10遺跡程度である。桜町遺跡では1997年の発掘調査で縄文中期末(約4000年前:我が国最古)の同様な遺構が発見されているが、同じ遺跡で異なる時期の水さらし施設が発見されたのは全国で初めてである。縄文時代における木の実の加工技術の変遷を知る上で極めて重要な発見である。 |
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ウッドサークルの一部が出土 2000.01.11 |
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第3調査区で、ウッドサークルの一部と見られる柱根が1本出土しました。柱の長辺約50cm、厚さ約23cm、高さ現況で約40cm。柱を埋めた穴の大きさは、直径約80cm、深さ約80cm。ウッドサークルは半割した巨木を円形に立て並べた施設で、縄文晩期の北陸地方に特徴的に見られるものです。祭祀に関係する施設と考えられていますが、単なる柱列か屋根をかけた建物か議論が分かれます。同様の遺構で柱根が残っていた例は、石川県金沢市のチカモリ遺跡と石川県能都町の真脇遺跡の2例があり、いずれも直径6m程の円形配列が確認されています。 |
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