イースター島 巨石記念物

 謎の巨大記念物

 イースター島

  90年ほど前からチリ領土になったイースター島は、周囲58kmの小さな島である。

  しかし、孤立した文明をもつ島として、その存在は大きい。

この島は、ポリネシアで固有の文字をもつ唯一つの島である。

  この島は川がない。次々に不幸に襲われた島である。奴隷狩り、大陸から突然もたらされた天然痘。

  そして、この小さな島には驚くべき数の、石の巨像が林立している。

島の言葉でモアイと呼ばれるこの巨像の数は900を越える。

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イースター島地図

1786年、フランス人探検家ラ・ペルーズは、喜望峰からハワイ諸島にむかう途中でイースター島に上陸した。このときの探検をもとに作製された詳細な地図は、彼のお抱えの地図製作者の手になるものである。

  南太平洋東部にあるチリ領の島で、チリ本土から3700km西方に位置する。イースター島は英語での呼称で、スペイン語ではパスクア島(Isla de Pascua)、ポリネシア系の人々はラパヌイ島(ポリネシア語で「広大な島」の意味)という。モアイとよばれる巨大な石像で知られる。3つの死火山からなる島で、ほとんど草でおおわれている。強い貿易風がふき、年間を通じて温暖である。肥沃な土地ではサツマイモ、タロイモ、サトウキビ、タバコ、熱帯果実が栽培される。水の主要な供給源は火口湖にあつめられる雨水である。1722年には1万人ほどのポリネシア人が居住していたが、疫病と奴隷貿易商の襲撃により19世紀末には100人近くまで減少した。ポリネシア人とチリ人との間には混血がおこなわれてきた。面積は117km2。人口は約3800人(2005年)。

 島名は、1722年の復活祭(イースター)の日に上陸したオランダ人により命名された。1888年にチリに併合される。西海岸にある地域が政府により先住民保留地とされ、その他の土地にはヒツジと牛が放牧されている。

  巨石記念物と木板をつくった人々に関してはあまり解明されていない。イースター島には1800年前から人が居住しはじめたという説もあるが、人の居住はもっと後のことだと主張する研究者もいる。現在の島民であるポリネシア人の祖先はマルキーズ諸島からカヌーで到来し、先住民をほろぼして島に定住したと考えられている。かつてはモアイとよばれる石像をふくむ巨石記念物が島じゅうにあり、その多くが部族間の内戦期に破壊されたとみられる。

  現存する巨石遺跡で最大のものはアフとよばれる祭壇で、石像の列をささえる台座であった。アフは断崖上か、海を眺望できる場所にあり、それぞれのアフは長方形の石を漆喰をもちいずにつみ重ねてつくられている。通常、アフがささえる石像は4〜6だが、トンガリキとして知られるアフは15の石像をささえている。多くのアフの内部は個人またはグループの墓所となっている。

島内には現在、高さ3〜12mの約880のモアイがのこっている。モアイはやわらかい火山岩である凝灰岩を彫刻したもので、長い耳と鼻をもった巨大な頭を特徴とする。モアイの原石はラノ・ララクとよばれる火口から切りだされており、ラノ・ララクからは探検家により21mもの未完成の巨大なモアイが発見されている。アフ上の多くのモアイの頭部には、赤色凝灰岩でできた縁のある円筒の王冠状のものがおかれている。その最大のものは約27tに達する。

発掘により洞窟もいくつか発見され、腐食した木板と木像の残骸、多くの小型木彫がみつかった。木板には細かく様式化された図形がきざまれている。それらは絵文字とみられるが、解読にはいたっていない。

  イースター島民の祖先については、さまざまな説がとなえられてきた。そのひとつは、メラネシア人との関係を主張するものである。鳥人崇拝や道具類、長い耳をもつ像など、イースター島とメラネシアでは共通する文化が数多いことが、メラネシア起源説の根拠となっている。

つづいて、アメリカ大陸とのつながりをとなえる説があらわれた。ノルウェーの探検家ヘイエルダールらは、探検家の報告やモアイ像の風貌などをもとに、巨石記念物をつくったのは南アメリカから渡来したコーカサス系人種(コーカソイド)だと考えた。彼らの説の有力な根拠のひとつとして、東から西へと移動する海流と貿易風にのれば、アメリカから太平洋の島々への移動は比較的容易であるという事実があった。

このほかにもさまざまな説がとなえられたが、現在もっとも有力なのは、4〜5世紀ごろにポリネシア人がマルキーズ諸島からカヌーでわたってきたとする説で、イースター島民の言語や身体的特徴はポリネシア人に共通するものであるとしている。

  イースター島のいたるところに、現在もなお、アフやモアイとよばれる巨石記念物が数多くのこされている。

アフは、長方形の石をつみ重ねた台座で、儀礼用の祭壇か、内部に骨を埋葬していることから墓に類するものと思われる。長さ約100m、高さ約4〜5mに達する大きなもので、200以上みつかっている。

モアイは凝灰岩でつくられた巨大な石像で、長い耳をして上をむいた顔をもつ半身像である。大きさは3〜12mだが、21mの未完成のものも発見されている。島民の各親族集団の先祖をあらわした像と思われ、各石像はその親族に幸いをもたらす力をもっていると信じられていたらしい。

アフは断崖上や海を眺望できる場所につくられ、その上に平均して4〜6個、もっとも多いもので15個のモアイがならべられている。またモアイの頭部には、赤色凝灰岩でできた縁のある帽子状のものがおかれている。

モアイは島の南東にあるラノ・ララク火山の旧噴火口内で切りだされてつくられ、アフまではこばれたらしい。噴火口内には未完成のまま放置されたモアイが数百体あり、アフにいたる途中にも運搬に失敗して破壊されたらしいものが放置されている。

 

  ポリネシア人

  南太平洋のポリネシアの島々にすんでいる人々。オーストロネシア語族のポリネシア語を話す。ポリネシアにもとからすんでいた人々ではなく、その起源については見解がわかれている。前2世紀ごろはマレー諸島にいたが、侵略民によって東方におしだされ、13〜14世紀までに現在地にすみついたとするのが、多数派の意見である。

初期のポリネシア人は、タロイモとヤムイモの栽培、果物やココヤシの採集、漁労、豚の飼育を生活の基盤にしていた。カヌーづくりがたくみで、すぐれた航海術をもっていた。また木や植物の繊維をつかって魚とりの網をつくり、縄や衣類もつくった。家屋は、堅木を柱とし、まわりを竹やヤシの葉などでかこい、アシで屋根をふいた。彼らは金属を知らなかったが、とくにニュージーランドでは石で各種の道具や斧(おの)、槍(やり)の先、宗教的な像をつくった。一般に木彫が発達し、手のこんだ幾何学模様の彫刻は芸術的にもすぐれている。

ポリネシア人の伝統的社会は、生まれつきの身分によって貴族と平民にわかれる階層社会である。一般に父系や長男相続が重んじられるが、非単系・双系的社会で、社会集団は血縁にもとづいた男女の居住集団とその姻族をふくむ。

ポリネシアの宗教は、特定の自然物が超自然的力をもつとする信仰にもとづいている。マオリ族には最高神イオの崇拝もある。全地域にわたって二元的な世界観が顕著であり、聖と俗、東と西、生命と死、昼と夜、右と左、男性原理と女性原理という象徴的な対立がみとめられる。祖先神マナをうけついだ首長に平民が接触すると、死にいたる危険があるとされ、首長は平民から隔離されていた。また儀礼のときに宗教的目的で人肉を食べるカニバリズムの習慣があった。しかし現在、ポリネシア人の伝統的な宗教や生活は大きくかわりつつある。彼らの大部分はキリスト教徒であり、とくに西洋文化の影響はいちじるしい。