蝦夷―1

    モンゴロイドとは何か

    黄色人種モンゴロイドは何処から来たか

  大陸との陸続きで?    (久慈 力著「蝦夷・アテルイの戦い」より)

原人人類の進化@AB

 エミシというのは、厳密にいえば一つの人種や民族を言い表している言葉ではない。しいて人種を表す言葉でいえば、「主として東北地方に住んでいたモンゴロイドの人々であり、古モンゴロイドと新モンゴロイドの混血であり、むしろ、北方系新モンゴロイドの色彩が濃厚な人々である」といえるだろう。それではこのモンゴロイドとは何か。

 ヒトにつながったと考えられる最古の類人猿は、1500万年から2000万年前にアフリカで発見されている。アジアではパキスタンにおいて1300万年前の類人猿の化石が発見されている。2000年9月には京都大学霊長類研究所などの合同チームが、タイの北部で1100万年前〜1500万年前の類人猿の化石が発見したと発表している。これは東南アジアでは最古の発見とされる。

 この類人猿は、アフリカから拡散してきたものなのか、アジア独自に進化したものなのか断定は出来ない。

 猿人から進化した原人、ホモ・エレクトスは、東アフリカで200万年前に生まれたとされる。アフリカ系原人たちはアフリカ大陸をゆっくり北上し、約150万年前後から、エジプトからスエズを通って、中近東へ進出した。更にイラン、アフガニスタンをと通って、ユーラシア大陸に進出、中国、インドへ流れた。或いはカフカス山脈を東に折れて、黒海、カスピ海の北を通って、カザフからロシアの南部、モンゴル方面へも進出した。

ホモ・エレクトゥスの女性頭骨

ホモ・エレクトゥスはおよそ180万年前にアフリカで進化したあとユーラシアへも広がり、東ユーラシア地域では20万〜数万年前ごろまで生存していたらしい。その頭骨形態は地域によっていくらかの変異をしめすが、前後に長く低いと脳頭蓋(のうとうがい)や発達した目の上の隆起、適度な突顎(とつがく)などは、種として共通である。写真は北京原人の女性の頭骨を、未発見の部分を推定によっておぎないながら復元したもの。Encarta Encyclopedia

大カフカス山脈

  大カフカス山脈はヨーロッパとアジアの接点の 1 つで、黒海とカスピ海の間に 1000km にわたって広がっている。大カフカス山脈の広がりと高さは、アルプス山脈とほとんど変わらない。5000m 級の山もいくつかあり、エリブルス山が 5642m で最高峰である。Encarta World Atlas

 まだ、原人たちは寒冷適応ができないために、バイカル湖方面やシベリアや極北へは進出していない。この過程で彼らも黒色の皮膚の色が抜けて、黄色人種・いわゆるモンゴロイドになったであろう。モンゴロイドから黄色の皮膚の色が抜けてコーカソイド(白色人種)が分離する。コーカソイド日本

(コーカソイド Caucasoid 人類の下位区分である大人種区分のひとつで、一般的には白人あるいはヨーロッパ系の人々をさす。ほかの人種集団にくらべて、肌が白く、目や髪の毛の色が明るいとされる。19世紀から20世紀初頭にかけての研究者たちは、これらの人々の起源がヨーロッパ南東部のカフカス(コーカサス)地方にあると考えた。コーカソイドという人種名はこの地名に由来しているが、その説は今では否定されている。

現在、白人の多くはヨーロッパとアメリカにすんでいるが、彼らが南北アメリカに移住したのは、わずか数世紀前のことである。インドや中東地域にも、コーカソイドと分類される人々が数百万人もいるが、白人とそれ以外の人の違いはかならずしも明らかではない。

北アメリカでも、白人あるいはコーカソイドという呼び名には混乱がある。プエルトリコ人やメキシコ系の人々などは、アメリカ合衆国の国勢調査の人口区分では、白人ではなくヒスパニックとされる。この区分は、黒人、東アジア人、アメリカ先住民、太平洋島民などと同じく、生物学的な意味での人種というよりも「社会的人種」区分である。そして、これらの社会区分のどれにもあてはまらない人々に対して、白人という言葉をつかうようになってきている)。

モンゴロイドの祖先(火を使い、石器を使う?)

 中国に進出した原人たちは、インドシナから南下し、当時、陸続きであったインドネシアからさらに、オセアニア、太平洋諸島に進出していく。この流れの中から、約100万年前のピテカントロプス・エレクトス、いわゆるジャワ原人が、約60万年前のシナントロプス・ペキネンシス、いわゆる北京原人が生まれたのであろう。彼らは火の使用、石器の製作を行っており、モンゴロイドの祖先となっただろう。

 東南アジアのジャワ原人は、インドシナ半島と陸続きのスンダーランド大陸と呼ばれる地域に住んでいたが、温暖化によって海面が上昇して大陸が縮小、原人たちはインドシナ半島を北上して、中国などの東アジアに広がった。原人の時代は、前期旧石器時代に含まれ、150万年前から15万年前まで続いた。

 日本列島でも、たびたび氷河期と間氷期が繰り返され、海面の低下、上昇も繰り返されてきた。列島を隔てる海峡の閉鎖と開放、陸地の拡大と縮小も同時に起きた。北方の間宮海峡、宗谷海峡、ベーリング海峡が陸化し、北海道、サハリン、沿海州、更には、アジア大陸とアメリカ大陸も陸続きになった。又、対馬海峡が陸化して、朝鮮半島と日本列島、更には中国大陸と台湾、琉球列島がつながった。

 一万五千年前までは、陸続きの大陸を人類は日本列島に進出できた。

 それ以降、日本列島は、大陸から遊離し、既に氷河期も終わりに近づいていた。沿海州と樺太に間宮海峡が現れ、リマン海流が発生した。

  (リマン海流 リマンかいりゅう Liman Current シベリア南東部沿岸を南向きにながれる海流。リマン寒流ともいう。対馬海流(暖流)の一部は、サハリン(樺太)の西岸を冷却されながら北上すると、やがてアムール川の淡水とまざり、流れの向きがかわって、大陸沿いに南下する。これがリマン海流である。流速は0.5ノットで小さい)。

 朝鮮半島と日本列島が分かれ、対馬海峡が現れ、対馬海流が発生した。樺太と北海道は宗谷海峡で分かれた。北海道と本州は津軽海峡で分かれた。南には南西諸島が形成された。日本列島に渡るには、海洋交通が必要となった。

  (対馬海流 つしまかいりゅう 九州南西部で黒潮からわかれ、対馬海峡をとおる暖流。日本海の本州沿岸にそって北にながれ、サハリン(樺太)西岸沖合いに達するか、津軽海峡、宗谷海峡をとおって太平洋、オホーツク海へながれでる。このため東北地方では、太平洋岸より日本海岸のほうが気候が温暖になる。対馬暖流ともいう)。